世の中のほとんどはグラデーション【LGBT・障害者などの言葉について考察】

哲学

こんにちは

以前、このようなツイートが流れてきました

この考え方は非常に良い考え方だと思います。

そして、この考え方はなにもバイセクシャルなどの性についてだけではありません。

世の中のほぼ全てのものはグラデーションでできています。

 

障害者という言葉はグラデーションに反している

皆さんはいたるところで障害者という言葉を聞いたり使ったりしていることでしょう。

誰かを傷つけるような使い方をしなければ特に問題ないと思うし、障害者という言葉が必要になるときもあると思います。

ただ、ちょっと考えてみてほしいのですが、障害者ってどういう人なのでしょう。

想像してみてください。

 

手がない人

足がない人

声が発せない人

目が見えない人

 

皆さんは色々想像すると思うし、僕も障害者という言葉からはこういう人を連想します。

 

例えば手がない人について考えてみましょう。

手がない人というのもよくよく考えればよくわからなくなってきます。

24時間テレビなどで手が不自由な人が出てくるので多くの人はいわゆる「手がない人」をどこかしらでみたことがあると思います。

皆さんは彼らの手を見てどう思いますか?

何も考えずにその人を見ると僕だって「あ、手がない人だ」という風に考えます。

ただ、彼らは手がないというより単純に多くの人より圧倒的に手が短いということではないでしょうか。

皆さんも友達と手の長さを比べてみても、あいつは手が長いとか指が長いとかありますよね。

身長が高いとか体重が軽いとかそういう違いは誰にでもあります。

いわゆる「障害者」の人たちもそれと一緒で、彼らは手がないというより人間の平均と比べて圧倒的に手や指が短くて、普段生活していてそのような人に出会うことが非常に稀なので彼らのことを「障害者」だと感じるようになってしまうのです。

 

全ての人は当然人間で、遺伝子もほとんど一緒です。

ほんの少しの差異が僕と松本潤のように残酷なまでに顔面の差を生み出し、手の長さを決めたりします。

人間はみんな人間だし、カラスはみんなカラス。

何兆もの遺伝子の中のほんの一部が違うだけで顔が違ったり足の長さが違ったりするわけです。

 

障害者という言葉はダメ?

じゃあ普段生活していて出会う人の中で明らかに手が短い人を見かけたときに「障害者」という単語を思い浮かべるのはダメなのでしょうか。

本人に直接そのような言葉をかけるのは傷つけるかもしれないし不適切ですが、そのような言葉を連想してしまうのはしょうがないことだと思います。

僕だってこういう記事書いてますけど頭の中では「この人は障害を持ってるな」という事実として受け止めてしまいます。

 

大事なことはその人も自分と同じ人間で、自分とはちょっと違うだけ。

同じ人間なのだから困っているときは助けよう、くらいに考えるというのが良いのです。

 

そして全ての人間の特徴も全部グラデーションだということに1度でも思いを馳せたことのある人は物の見方が普通の人よりも圧倒的に広くなります。

このことについては今度お話ししましょう。

 

まとめ

僕たちが普段なんとなく使っている障害という言葉。

人間の特徴はみんなグラデーションなのにこのような状況になってしまったのはなぜなのでしょう。

これは全て人間が「言葉」というツールを生み出してしまったからです。

言葉のせいで人間はグラデーションの中に勝手に線を引いてしまいました。

この辺の話は次回の記事でお話しします。

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